比較文化論の試み−山本七平

海外に行くことが楽しみである私にとって、

日本人ってどういう民族か?と言った哲学的な悩みを抱えることは往々にしてあります。

それが楽しかったりするのですが、この本はなかなか強烈なインパクトを残してくれました。

あくまで比較文化論ですが、その導入部分が何とも考えさせられます。

 

 

日本人は、ひとりよがりで同情心が無く、日本文化に普遍性が無い。

「○○は自分には必要ないが、必要とする人もいるだろう。」というのは、ごく普通の考えかと思います。

(例)私にキリスト教含めて宗教は必要無いけど、必要な人もいるし、それを否定しない。

 

「じゃあ、なんでそう思うの?」と言われると答えに窮するのも、またよくありますね。

「そうなのだから、そう考えるだけだ。」(※)と答える人がいたとする。

すると、その人にとってその考え方は、どこでもいつでも通用する「普遍性」を持っていると信じていることになる。まあ、思い込みが激しい、ってやつです。

(※)のフレーズは、「えっ? 何でダメなの?」と同値です。

ダメな理由がわからないから。その人にとって普遍的な行動だから。

 

ヒヨコを飼い、冬寒そうなので、お湯を飲ませたら、全部死んだ。

勝手な感情移入で、相手と自分を混同する。自分の感情を勝手に「相手もそう思っているはずだ」と思い込んで、行動に移してしまう。

 

フィリピン人「日本人は、アジアの開放とか言ってるけど、『あなた達のために、私達ができることはありますか?』と聞いたことは一度も無い。」

韓国人「韓国の民主主義を心配すると言うが、『そのために我々は何をすればいいか』と聞く日本人はいない。」

これも同様で、勝手にフィリピン人・韓国人になった気で発言すると、こうなる。

つまりはひとりよがりで、同情では無い。ということ。

 

感情移入して、それを=同情とすることが普通で、差し支え無い社会だった頃があった。

今はもっと複雑な社会になりつつあり、それが通用しなくなった。


 

じゃあ、どんなことが必要になるか。

「じゃあ、なんでそう思うの?」と言われて答えられるようにすること。

どのような理由でそういった答えに行き着いたかを明確にし、言語化すること。

でないと、相手は相手なりに行き着いたプロセスがあっても、比較できないから。

つまりは議論や交渉にならないのだ。話にならないのだ。会話にならないのだ。

 


仕事をしていても、経験の上積みだけの人との会話は、たいてい噛み合わない。

「何でこうしたの?」

「それで今まで通ってますから。」(※)

「は?」

「えっ? 何でダメなんですか?」

 

こうなると会話になりません。

(※)の部分をもっと論理的に考え、言語化することに注力しなければならないと感じます。


 

結局、技術力を高めるためのストイックさが必要なのだろうと思いました。

自己研鑚をしない人とは会話をしたくない、とすら感じることが多いので、

本書は大変刺激を受けました。

我が身も相変わらず自己研鑚に励まなければと、強く思った本でした。

 

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